牧水は旅をすることで創作意欲を燃やし、また題材を求めた放浪の歌人。本県にも明治末期から何度となく旅をし、そのうち大正十一年秋の旅は静岡県・沼津の家を出発してから帰宅まで実に二十三日間に及び、その間に百二十五首の歌と有名な「枯野の旅」の詩、牧水文学の最高峰といわれる紀行文「みなかみ紀行」を残した。
この旅は十月十四日、吾妻群嬬恋村に入り、十九日は草津泊まり。そして二十日、草津をたって暮坂峠を通って沢渡、四万温泉に。二十一日は中之条町から沼田市に入った。 新治村の旅は、このあと二十二日からで法師、湯宿に各一泊して二十四日夜、沼田市に戻り、老神温泉、片品・白根温泉と歩き、二十八日に金精峠を越え日光に向かった。
同展では、三日間の新治での弟子宅や宿で書き残した半折、色紙、短冊、それに沼田などで書いたものも展示している。
来村時、立ち寄った同村相俣の松井太三郎さん(四十九年、七十九歳で没・牧水主宰の「創作」社中だった)宅には半折に「かんがへてのみはじめたる一合の二合のさけの夏のゆふぐれ」の歌を書き贈っている。
また、沼田の青池屋旅館に泊まった晩(十月二十四日)、押しかけてきた地元の文学青年らと酒を飲み交わし、痛飲のあげく書いた「青池やの二階のへやにゑひしれて書かせられたるこの歌ぞこそ」など三枚の半折も展示されている。
このほか、牧水が大正十三年刊行した「短歌作法」のペン書き二百字原稿用紙百八十一枚の草稿が見ものである。