写し絵 <歴史> ![]() 「写し絵」は風景を写した絵や影絵のことをいいますが、ここでは灯火劇のことです。 この灯火劇はヨーロッパで発明され、安永7(1778)年、日本にもたらされました。「影絵目鑑」(うつしえめがね)と して、大阪も見世物に出現。その後、小石川伝通院前に住む染物上絵職人亀谷熊吉が改良を加え、「江戸写し絵」 を考案したとされています。 ▲風呂の持ち方 享和3(1802)年はじめて有料公開されました。以後明治末年まで、寄席や涼み舟などで盛んに行われ、八王子 玉川文蝶、国領の玉川文庫などのめいじんがいました。文蝶の道具は早大演劇博物館、文楽のものは調布文化財 に指定されています。今日、上演しうるガラスの種板は段物十二種で「三番曳」などがあります。 <日本独特の写し絵> 小ガラスにいろいろな画面の彩色画を1コマづつ変化させて、手を上げたり下げたりする動作等を描きます。絵を 動かす原理は、今日のアニメーション映画と同じです。それを風呂と呼ぶ板製幻灯機(6台)で、和紙の映写幕(現在 では縦90p、横3.6m)に写しました。だから日本映画技術は最初からカラーで写され、コマ数が多いので、映画のよ うに動いて見えたのです。 特に、風呂と呼ばれる幻灯機は外国製の物が金属で、重く暑いので、据え置くほかありませんでしたが、亀吉は 幻灯を桐材で作り、人の胸に抱えて、人が動く場合には、幻灯を持って動く事ができたので、特徴的な動きを演出 する事が出来ました。また、客の反応を見て動くことも出来る「生」の演出も可能でした。 この映像と動きに語りと音曲を加えて劇が演じられましたが、「江戸写し絵」は世界で例のない日本独自のものと なりました。 <紙芝居の源流> しかし、この写し絵は大変な人手がかかるので、大正時代になると、写し絵の効果を一人で上げられるように考え られたのが、今のペープサート、立ち絵でした。黒幕に、黒紙の表裏に人物を描き、紙を回転させて、動きを出したの です。その時はじめて「なんだ、写し絵ではなくて、紙の芝居か」と言い始めたのが、紙芝居の語源ともなったという 通説があります。 ![]() ▲上演の様子(イラスト/当館作成)
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