民話と紙芝居の家                          

   立ち絵

   「なんだ紙の芝居じゃないか」
   立ち絵とは主として画材の裏表両面に、登場人物あるいは物の絵を描き、大体絵の大きさに紙を切り、不必要な
  部分を黒く塗りつぶしたものです。この立ち絵を竹の串に貼り付け、その串を指の股に1つづつはさんで操作し易い
  ようにしました。いわば今のペープサートのようなものでした。

                           ▲立ち絵舞台正面・側面(図面/当館作成)
   
   舞台の大きさは、3〜4尺(90センチ〜120センチ)の間口、1尺5寸から2尺位の高さの舞台で、その舞台置くの
  ホライズン幕には真っ黒な布を使用しています。この舞台の裏側に立って、立ち絵を串が見えないよう、ちょうど舞
  台で人物が演じているように、立ち絵を裏表に返したり、右左と動かしながら、あるいは素早く、あるいはゆっくりと
  動かしセリフを言うと、人物と物が後ろの黒幕に映えて、写し絵に似た効果が上げられました。
   
                                      
▲風呂の持ち方
                          
   写し絵に比べると、動作が稚拙で、さらに紙で描かれていることから「なんだこれは紙の芝居ではないか」という

  事から、紙芝居という言葉が初めて生まれたとも言われました。
   中には一人で人形を使い、鉦、太鼓、拍子木などの鳴り物を鳴らして賑やかだったということです。
   この紙芝居は、祭礼や縁日などにテント小屋で興行され、客はもちろん子供、出し物は怪談もの、侠客ものなどだ
  ったが、一番人気があったのは「西遊記」や「孫悟空」であったということです。
   大正時代の子供達は、縁日の夜、アセチレンランプの匂いをかぎながら、「孫悟空」の大活躍に胸を躍らせていま
  した。

▲立ち絵紙芝居〔明治末期〕(毎日新聞社提供)
    
   立ち絵のはじまりは、明治20年頃、落語家の円朝の弟子の新さんという人が絵が上手かったので、自分の得意
  としていた「西遊記」や「忠臣蔵」を絵に描かせて、駄菓子屋で1枚1銭で売らせ、当時の子供がその絵をくりぬいて
  竹の串に貼り付けて楽しそうに遊んでいるのにヒントを得て、新さんと興行師丸山善太郎という人が考え出したとさ
  れています。最初は寄席で大人と一緒に見ていた子供の為に演じられたが、舞台を担いで移動が簡単にできる形
  に改造されると、立ち絵の人形は貸し出されるようになり、東京を中心に1銭、2銭の見物料で見られました。
   このように「影絵」や「写し絵」や「立ち絵」は寄席芸として互いに競い合っていたが、明治28年に活動大写真が輸
  入されると、「写し絵」や「影絵」は姿を消していき、「立ち絵」は生き延びて、却って室内の活動写真よりも、屋外に
  活路を求め、その特徴を伸ばしていきました。   

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