小さな平絵の紙芝居 現代の紙芝居の形の誕生 昭和初期、浅草の青島町、小島町辺りで、簡単なペン書きの墨江を見せながら、話を聞かせてあめを売っていた 人々がいました。 ![]() ▲街頭紙芝居〔1953年 東京都大田区〕(毎日新聞社提供) 立ち絵紙芝居の紙人形の貸元「蟻有会」はこれをヒントに「絵話」を考案しました。つまり、「立ち絵」の紙芝居では なく、「平絵」の紙芝居で、現在の紙芝居形式を誕生させました。 最初の作品は、画家募集で採用された鳥居馬城という映画館の看板画家と、芝浦工芸染色図案科の学生だった 松永武雄で、「絵話」の第1作「魔法の御殿」が出来ました。昭和5年4月でした。 画面は枚数は25枚、大きさは横20センチ、縦15センチで、縦にはさらに2センチほどの余白があり、これは各画面 を上に引き抜くときに指をかける部分です。つまり、最初の「平絵」紙芝居はふところに入れて持ち歩ける大きさで、 舞台を使わず、片手の平に乗せて、各画面は上を引き抜いたのです。 じつはこの小さな「平絵」紙芝居は、革新ではなく、急場をしのぐごまかしであったということです。急増した立ち絵 紙芝居業者は、街頭や空き地で子供達にあめを売っていたので、駄菓子屋からは商売がたきと睨まれて、非衛生 であると訴えられ、警察からは道路交通上の問題、あるいは教育上の問題から取り締まりの対象になりました。平 絵の小さいものであれば、取締りがあってもふところに入るし、咎めを受ける事がないからでした。
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