
HOME > お風呂 - 温泉教授 松田忠徳 新・日本百名湯 65
![]() 2004年1月24日 日本経済新聞 新・温泉百名湯 65 猿ヶ京(さるがきょう)/温泉教授 松田忠徳 昭和半ば 新たな湯脈 新聞記事を見る 「私は君と旅をした/六月、土地の花咲く岨路をゆき/山の峠で展望し/新緑の谷間の温泉に身を沈めた」 (「友―高村光太郎君に」より) 山の詩人、尾崎喜八は昭和四年、高村光太郎とさわやかな初夏の三国路を歩いた。 |
![]() 吹雪の中で入る 猿ヶ京ホテルの露天風呂は格別 |
江戸後期の文人、鈴木牧之をはじめ、直木三十五、川端康成、田中冬ニ、与謝野晶子、若山牧水等々、三国路ゆかりの文学者は多い。
東海道、日光道などの五街道に次ぐ要路であった三国街道は、高崎宿で中山道から分れて三国峠を越えて越後に至る道であった。
戦国時代、越後の上杉謙信が関八州制覇の夢に燃えて繰り返し越えた峠でもある。江戸時代には二重改めの厳しい猿ヶ京関所が設けられたことでも知られている。
三国峠の温泉といえば、一軒宿の法師と近代的なホテルが並ぶ猿ヶ京だろう。ところが愛用の『日本温泉案内』(昭和五年刊)に猿ヶ京の名は見えない。代わって笹の湯温泉と湯島温泉が出てくる。昭和二十五年に運輸省観光部がまとめた『温泉案内』に猿ヶ京温泉の項目があった。「赤谷川の奇勝、相生橋辺の景勝地を占め、笹の湯、猿ヶ京、湯島にわかれる。後は楓(かえで)、楢(なら)などの雑木林を負い、前は赤谷川の水勢が狂奔するを眺め眼界やや展けている」
昭和三十三年、赤谷川をせき止めて相俣ダムが誕生したため、河畔にあった温泉はダム湖(赤谷湖)に水没したのだ。温泉街は高台に移転して猿ヶ京温泉と呼ばれるようになった。
ちなみに湯島の開湯は江戸中期と伝えられる。
新たな湯脈を得て、赤谷湖を見下ろす高台を中心に現在、猿ヶ京には二十数軒の宿がある。
「毎晩八時から猿ヶ京に伝わる民話の夜語りを楽しみにいらっしゃる常連のお客さんが多いんです」と「猿ヶ京ホテル」のご主人、持谷順一郎さん。自家製豆腐の懐石料理でも知る人ぞ知る宿である。
「それに湯量に恵まれていますからかけ流しなんです」
猿ヶ京ホテルは鉄筋六階建ての大規模ホテルだ。ふつうこの種のホテルは循環風呂であることが多い。
含食塩・石こう泉が惜しみなくあふれる湯殿は吹き抜けで、風情があった。赤谷湖を望む露天風呂の造りも、湯質に劣らず好感がもてる。 最近は秘湯系の温泉宿でなければ本物の温泉になかなか出合えないだけにうれしい。穴場の温泉といっていいだろうか。
(旅行作家、札幌国際大教授)
・個人情報保護方針 ・求人情報
群馬県 猿ヶ京温泉 猿ヶ京ホテル 豆腐懐石の温泉旅館
〒379-1403 群馬県利根郡みなかみ町猿ヶ京温泉1171 TEL:0278-66-1101 FAX:0278(66)1108
〒379-1403 群馬県利根郡みなかみ町猿ヶ京温泉1171 TEL:0278-66-1101 FAX:0278(66)1108



