女三人「明るい食卓健康事業部」

マクロ食を実行中の女将一家

 平成10年7月の信州蓼科横谷温泉でマクロビオテック5日間を受講した。
 予備知識、先入観もなくその日を迎え、その前日の夕方8時まで宿の女将をびっちりとこなして 「この私がホテルを五日間も留守にするってことは」大変と、口にこそ出さずしゃかしゃかと動き 回り「温泉でゆっくり普段の疲れを癒してこいよ。人一倍働いている人なんだからな」と横谷ホテ ルまで主人に送られ、言われれば更に傲慢が頭をもたげ、悲壮感を漂わせてのマクロ講習こと初め だ。

かって女将が訪れた初めて外国の観光地には小さいミュージアムがたくさんあり、古さを誇って いる遺産が大切に地元の人々に守られてあった。女将はたった一回の外国旅行で、観光地はこうな ければと思い込み、小さいけれど文学館を設立し、教育財団法人を設立し、次には人の所有の県指 定史跡にまでちょっかいを出して、史跡を資料館にして公開している。周りの者にはきっと精神的 、経済的に迷惑をかけているなと思いながら、わがままを通し、二つの文化施設の経営までを背負 い込んでいる。

本業の宿では、山里の古老たちを経営コンサルタント(…女将は本気でそう思っている)にして、 群馬の食べもの、習俗や民話を聞きまわり、その古老たちの昔語の会を毎日囲炉裏端で開いていた が、だか今は女将がミイラになって囲炉裏端で毎日の昔語。宿のかかせぬ名物行事になって、女将 はまたまた自分の首を自分でしめている。やがて土地の民話の採集中、古老の豆腐話に感激した。 長生きしている婆ちゃん達が穀物と豆と野菜が大好きなこと、それを勿論食べもし、更に自作して いること、参勤交代の大名が好んで食べもし、江戸表の奥方にお土産にしたこと、豆腐は村里の冠 婚葬祭のご馳走であったこと、そんなことから豆腐料理に執着し、宿の売物になった。その爺ちゃ ん婆ちゃん達は、98歳、90歳、86歳…、話し好き、人好き、働き好き、みんなそろって口がき れい、食いしん坊じゃない(食いしん坊な女将はそれだけでも尊敬している)。

 だけど、女将は少々バテ気味。生業のほか、文化活動とやら村の仕事、県の仕事、ボランテア。 ほんとうは自分のやっている文化事業がボランテアされたいのにと心の中で思っているらしい。だ から女将は多少自己嫌悪だ。月に二度の医者通いが十年も続いている。内面的にはそんな女将の講 習こと初めでもあった。

さてご迷惑にも夜ふけて横谷ホテルに到着したのは、格好つけて仕事をして出て来たからだ。医者 の薬は勿論、外国製の高い栄養補助剤の数々、体に良いという酢のボトル,そんなものをしこたま持 込んで客室にぞろりとセットし、悦に入り、第一日目は終わる。

 二日目、ホテルでの初めての朝食。「玄米ごはん、ひじき、たくわん、お味噌汁」。
えっ、なんだなんだこれは! 美味しい料理に温泉で疲れを癒そうというのに! 横谷ホテルって 一体何よ。一瞬、夢が吹き飛んで体の力がすっと抜けた。周りの人は箸を箸置に、手をお膝の上に 明るく、くちゃくちゃと玄米を噛んでいる…?…?…?…!…!。
女将はその顔を見ていたら、かって読んだ本のことを思い出していた。旅順攻略で日本が勝ったの は、玄米と満州に豊富にあった大豆をもやしにして食べたからだというような時代がかった内容の 本を。だけど今は昔じゃあないぞと思いながらも、今は食物がありすぎる、ほっぺたが千切れそう な甘いものが手軽に手に入りすぎるから、婆さんが作った固い米菓子の味の無いようなものなんぞ 食わないと言いつつ、くちゃくちゃと固い餅菓子を噛みながら「だけど昔は虫歯もアトピーなんて 洒落たおできはなかった」と言っていた婆ちゃんのことなども。
さらに皆のくちゃくちゃ噛み噛みの顔を見ているうちに、可笑しなことに村で集めた民話を思い出 していた。煮返され、暖め返されて村人に語られているうち、真実だけが語り残された民話を。語 られなければならないために、エッセンスだけ語り残された話を。婆ちゃんの昔話はくちゃくちゃ と反芻され、噛みの残された言葉の宝石だ、居並ぶ皆のくちゃくちゃはそんなことを思わせたのだ。  女将はそれから始った料理講習会で山本祥園先生に接し、久司道夫両先生の講義を受け、民話と その講義に低通しているものを見つけた。夢中に火が付いた。さらに女将はたくさんの古老に接し て、昔話を採集している。だからこの婆ちゃんは行けるぞとピーんと直感すると、必ず素敵な昔話 を幾つも思い出してくれたので、その道には自信を持っている。最初山本先生の醸し出す雰囲気は、 優しさと厳しさを併せ持った、昔話の名人と同じ雰囲気だと感じた。そのうちそんなことでは追着 かない、深さを持った先生であることを感じ、心の中で失礼を詫びながら、それでも何て可愛いら しい女性なのかしら、可愛いなんて偉い先生に対して失礼かと存じながら…ついそちらの魅力の方 に捕らわれてしまっていた。ついには憧れを持ち、こんな料理を作っていたら山本先生のような可 愛い人になれるかしらと、あくまでそちらに魅了されてしまった。続いて久司先生、遠めには肩の 力の抜けた、ゆったりとした雰囲気はあたりに暖かさを振り撒いていられる。一番前に陣取った女 将は、咫尺におわす先生の講義を受ける。半眼の目、奈良の広目天仏の顔が思い起こされた。目と 言えば山本、久司両先生の白目が美しい。子供のものとばかり思っていた清らかさをたたえていた。  人が行き交う宿の女将は人の目を見る癖があるのだ。遠くから見るとやさしそうな久司先生の目 に悲しいほどの厳しさを感じた。その厳しさは開拓者のものかもしれない。今までの常識を破る先 生の講義に、女将はまたしても昔話しを思い出した。昔話には、常識を超えられる人間が奇跡を起 こして、例えば貧乏神さまの大好きな人が黄金の山を掘り当てたり、正月の葬礼を厭わなかった嫁 さんが福嫁になるという話しが多い。昔話は何世代も通じて語り残された実生活の中の真実だ。そ れと同じように先生の講義の中に何万人という人を救った実学の本質を感じた。えっ?えっ?と思 ったワンピースフルワールド人類の救済の話しは、聖書に書かれている聖者が個人の小さな幸せを もたらした話、多くの人々を死病苦から救った話などを蘇らせてくれた。先生の目も聖者のように 半眼だ。力をぎらぎらと湛えた目を大きく開いた英雄よりも、半眼の目の方が広い宇宙を見ること が出来るのだと、何かの本にもあったぞ。大体半眼の目などという言葉や目は、日常生活には無縁 で思い起こすことすらない。先生の目が久しぶりに奈良の大仏を思い起こさせたのだ。

世界平和は小さな個人の小さな細胞の幸せからだ。よしっと思った女将は、その日先生の著書をす べて売店で購入し、休憩時間にもむさぼり読んだ。その夜、最後の本はアメリカの現代医学の医師 であるガン患者がマクロビオテックの周辺を悩める子羊のようにさまよいつつ、快癒して行くまで の心の軌跡にはらはらし、涙を流しながら最後の頁を閉じた時には、東の空が明るく輝き始めてい た。女将は自分の再生の光のようだと思った。このアメリカの医者は、現代医学の常識を捨てた時 、そして乗越えた末にガンを治療出来たのだ。このアメリカの現代医学の最先端の人が。今までの 医学を捨てて。「むっ、この私なんて」

 よく朝女将は、高級な栄養補助剤と酢のボトルと薬とに別れを告げた。飲み始めたら飲み続けな ければ死ぬと、まるで麻薬のように言われ、何が何でも二週間に一度の医者通いを通し、のみ続け たていた血圧の薬も。常識を破ってみよう…、と。

 帰宅し、その晩のうちに家にある調味料、油、トマト、ナス、みやげ物の漬物…、全てありがと うございましたとお礼をいい、別れを告げた。翌朝、一日がかりで買物。圧力鍋、玄米、エトセト ラ。

それからの女将は、朝、昼、晩三食、台所に立つ。家族五人の食事を作る。 人の手任せだった家族の料理、口ばかりだすが包丁はあまり握ったことはない。手には火傷、包丁 の切り傷、水仕事で皮膚が弱くなり、皮膚がすぐ剥ける。それでなくても人一倍仕事を持つ女将は 寝る時間を削るしかない。朝五時には起きて、三食の献立、下ごしらえをする。そして誰よりも先 に宿に出て女将をする。仕事をしながらも一日三食はすぐやって来る。、今度は女将の仕事と家族 の料理の問題は新しい課題となった。仕事に没頭出来ない。冷蔵庫に何が入っていたから、何を作 ろう。あっ、何が足りないな。どうする。買物に行くにも、山郷の生活は、すいすいというわけに は行かない。そんなことの連続で、宴会準備中の宿の忙しい時に、家族の台所で玉ねぎ刻んで泣い ている場合か、何している、そんなことで宿の経営は成り立つのかと心の葛藤は続く。一番の悩み は自分達家族だけ健康で長生きしようっていうのか。社員はどうする。お客さまはどうする。ああ 。

ええい、自分が心身ともに健康になってからだ!、それからだ!思い返した女将は料理に専心。迷 いをぶっちぎった。ついに、小さな個人の細胞の幸せから全ての幸せが始るのだと、あらためて実 感して、家族の台所に立ち続けている。血圧も、血糖値も、体重も減った。料理のために早起きに なった。

 今では自分が大威張で仕事をする必要があったのかと、思うことがしばしばとなった。女将は料 理を作り続ける。「この女将が」などという傲慢も少しづつ薄らいで行くようだ。悩む前に料理出 来る幸せを、家族や社員に感謝をしながら料理を続けたいと思っている。とうとう「この女将が」 がマクロビオテックの料理を本格的に学習しに毎週大阪まで通い始め、半年になろうとしている。 自分の食事を自分で作っているうち、マクロビオテックの実践はひとつでも料理をおろそかにしな いこと、先ずひとつの理論の前に、一皿の料理を現実に目前にという実学に目覚めたのだ。自分な りの実学の積み重ねが、自分の理論を作るものと信じて。

 しかし女将の仕事はまた増えた。月二回という予定でマクロビオテックの料理食味会をはじめた からだ。長男の嫁さんがあまりスマートに、肌のトラブルがなくなり、きれいになったのを見たそ の子供の友達の親達が「どうしたの?」ということから始り、女将のマクロビオテック料理が話題 になって、話を聞きたいということから始ったのだ。参加者八名。

新米料理の先生は汗びっしょり。久司先生の講義を口移し。八人のうち一人が圧力釜を購入し、玄 米食が始った。

第二回目は、ホテル通信を通じていらした、お客様の講習会。参加者四名。近くの市のお客様の奥 様で中高年、体の悩みは多い。二回目を約束された。だけど先生は女将と素人の嫁さんと二人だけ だから、ぼちぼちとづっとぼちぼちとという感じ。いいのさこれで、長く続けていれば形になるよ と二人は思っている。

.これからは、四月にホテルの企画に併せて、食味会を企画している。考えてみれば女将には大儀 名文はない。マクロビオテックの料理がホテルの仕事になれば、自分のためにばかりやっていると いう心の葛藤から、誰に遠慮することはないホテルの仕事だぞと大威張出来るからだ。悩みが減っ て得しちゃうという考えが基本だ。

 またホテルの売店に「明るい食卓健康事業部」と言う事業部を作った。部と言っても女将と嫁さ んと、東京にいる娘の三人だけだが、山郷でお金を持って走り回っても、塩ひとつまともなものが 買えない山辺の生活、自分達の大切な基本的調味料がいつでも入手出来るようにとあくまで自分本 位だ。そうそう、小さな個人の細胞のためにね。そうでなければ長続き出来ないからねと嫁と娘に 言い含めている。

 「明るい食卓健康事業部」とは、女将のように底辺でごぞごそと仕事と家族の両立に悩み、小さ な悩みを抱えながら生きている女達の家族が、明るい食卓を囲めるようにとの願いを込めて付けら れた名前である。しかし女将の家族の明るい食宅は思わぬ効果を表し始めている。長男もスマート になり、さらに働きに磨きがかかって業界のために、自分の生業のために頑張っているし、女将直 伝の食卓でのマクロビオテックの話をもとに、仲間に自然とマクロビオテックのうんちくを語り始 めている。長男の格好良さとスマートになったのに刺激を受けて、密かに玄米を食べ始めた仲間も いるらしい。幼稚園の孫は、体に良い食べ物と、「盆と正月くらい、食べても良い」の食べ物の話 を幼稚園で先生に語っているらしい。それを聞いた先生がピクニックには、玄米にぎりを食べさせ てねと言って玄米握り飯と白米と交換し試食したとか。へえ玄米ってこんなに柔らかくて美味しい のって言ってたと報告も受けた。一人東京に住む長女は、料理の腕を上げ、今年の正月には忙しい 家族のために晴着も着ずに、台所で家族の料理を作ってくれた。さらに本格的にマクロビオテック を学習したいとその計画を実行させるべき動き始めた。

 女将が悩みながら始めた家族の食卓が、それを取り囲んだ家族のそれぞれの力によって回りの人 々の意識を少しづつ変えて行こうとしている。

やっぱり小さな個人の細胞の幸せを作る「明るい食卓」から始めて間違いはなかった。

さあ、次は人の細胞の番だぞ。それも小さい小さい身近な人からね。なにしろ女三人の小さな健康 事業部なんだから。さて、何ケ月後の女将の報告は果たして如何に?

  平成11年正月                                 持谷 靖子


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