話を聞く量、語る量
財団法人 三国路紀行文学館館長 持谷 靖子
―人の話をよく聞けば人の分も自分のものに

  原沢はるさんの場合

原沢はるさんは明治三十六年生まれの九十歳の女性だ。彼女は新治村で生まれ隣の家から 隣の家に嫁いだ。最近、彼女はは私に会うと「この年して世に出るとは思わなかった」と 言う。彼女は新治村の民話の語り手として月に一度は学校、老人会、民話愛好者たちの前 で語るようになったことで、新聞、ラジオ、テレビ等で、新治村というと名物の語り手と して幾度か報道されたことをいうのである。
はるさんは十二人の子を産んで、六人をなくして六人を育て上げ、旦那(だんな)を見取 り、長男が任せておけというので世話になろうかと思っていて矢先に、その長男にも先に 逝かれてしまった。
今は、嫁さんと二人暮らしだが、一人前に畑仕事、家事をこなしている。仲間の老人たち は、はるさんのところへ全国から、はるさんの話を聞きに来るのを羨(うらや)ましがっ ている。
 はるさんは「羨ましがったってダメ、もう奴(やつ)は喋(しゃべ)り切ったんだ。人 がね、人の話を聞く量だけ、話す量は決まっていると俺(おれ)は思う。それも聞きたい と思う気持ちの量。優等生になりたいからとか、一番になりたいからとかではなくて、学 校に行くには妹の子守をしながら行かなくちゃ行けねえ、泣けば先生がうるさいから出て 行けというので校庭の窓の外から、先生の話を聞いた。聞きたくて聞きたくて馬のように 耳立てたね。奉公すればご主人の話を一生懸命聞いたから嫁入り道具は貰(もら)ったし、 真面目(まじめ)なご主人の話を聞いて今も役立っている。嫁に来れば舅(しゅうと)姑 (しゅうとめ)小姑の話を聞く。すれば波なく、いい勉強になった。旦那の話も聞いてり ゃ、可愛(かわい)いと思うんだがよくして貰った。だけど聞いているうち、心の中に俺 の考えが出来た。それがねえ、今この俺の話を国中から聞きに来るだよ。今まで人から聞 いた話や、じっと黙って見ていたときの俺の思い入れや何かをさ。おかしな世の中になっ たとは思っていない。当たり前だと思う。昔も今も同じ、人の話は聞かねえ、自分勝手に していたら、狭い自分だけの器きりできねえが、人の話をよく聞けば人の分も自分の物に なる。利口でよく喋(しゃべ)れるなと思っていた仲間は、結構先に逝ってしまった。人 に馬鹿(ばか)だと思われるくらい黙って、人の話をじっと聞いていた俺が生き残って喋 っている。どこのも旅に出られなくても、旅に出たものの言うことを、儲(もう)けもの だと思って話を聞いたから、人の旅まで付いていったことだ。それを今は喋っている。も う誰(だれ)も残っちゃいないから喋る番ってわけ。まだまだ、喋る量はある」とますま す元気なおはるさんだ。
御はるさんの話を私は四百話以上聞いて記録した。専門家によれば語り口調は日本の十傑 に入るらしい。このたび、おはるさんの第二冊の民話本が出版されることになったが、ま だ半分以上原稿は残っている。

  生涯学習の一つの教示

生涯学習が叫ばれているけれど、その時代その時代したたかに生きたおはるさんの生き方 は、生涯学習の一つの教示になる。村の福祉係りに世話にならずと、自ら訪れる人々に喋 ることによって九十歳を花咲かせている。
ある県立の名門女学校の校長先生が確かに学問レベルは上向いてきているが、常識、教養 の点、得に人の話を聞く態度は年々悪くなってきていると述べ、ある村長は毎年、成人式 の記念講演を聞く若者の態度は許せないものがあると言った。おはるさんの論法でいくと、 この子たちは老人になって喋る量は残されているのだろうか。生涯教育を年寄りの勉強と 勘違いしている人が多いが、生涯教育は人間おぎゃーと生まれてきてから始まっているの だということを、おはるさんは教えてくれる。こんな人を人の生き方の無形文化財といえ まいか。全国にはおはるさんのような人を、無形文化財に指定している所もある。



持谷靖子随筆集(視点 オピニオン21)  (平成5年10月7日)
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